城跡は天下分け目の天王山の山頂付近に位置している。
城跡までの道のりは登山道で現在ハイキングコースとなっているので登りやすいが、斜面が急になっているところも多々あるので体力は消耗しやすい。
登山口は宝積寺境内の脇にあるが、道順を示す看板があるので分かりやすい。天王山山頂を目指して登る。登山口から城跡までは大体30分くらいかかる。
城跡までの途中には『禁門の変十七烈士の墓』や山崎合戦の石碑などもある。
(禁門の変十七烈士の墓)
(山崎合戦の石碑)
ここで山崎城の縄張図を出しておこう。この縄張図は現地説明板にあったものを私が編集したものである。
書き込まれた数字やアルファベットは今から掲載していく遺構の場所を分かりやすくするためのものである。訪城の際には参考にしていただけたらと思います。
さて、登山道を登っていくと酒解神社が現れる。其処を過ぎた辺りから城域である。
(酒解神社)
①酒解神社を越えてすぐのところに早速残存石垣が現れる。
②本丸跡に向かう途中の残存石垣。かなり低い位置にある。
③本丸跡虎口にも残存石垣が。結構崩れてしまっている。
④天守台跡の残存石垣。
⑤本丸跡の西側の曲輪の北西側切岸にある残存石垣。
個人的にはこの石垣が山崎城の石垣の中で一番好き。場所を知らないと中々見つけられません。私も結構探し回りました。
これらの他、縄張図で◎が示している場所にも石垣があるそうですが、未確認。また、本丸跡・天守台跡の切岸には所々に残存石垣と思われる石垣がありますが、残念ながらほとんど崩れてしまっている。かつては切岸全体を石垣が覆っていたのだろうなぁ~っと思いながら見ていました。
A 城跡の最北東端にある堀切。
これ、あまり知られていないんです。手前には土橋もある。
B 本丸跡近くの竪土塁。
草木が多くて写真ではわかりづらいですが。
a 天守台跡と本丸跡(奥)
天守台後が天王山山頂である。
(本丸跡にある説明板)
b 本丸跡西側にある曲輪。
かなり広い曲輪である。
c 井戸曲輪と井戸。
おおまかな遺構紹介は以上である。山崎城の歴史等についてはWikipediaのURLを貼っておく。
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